真綿の遮光カーテンで首を絞められて死ぬ

初めての一人暮らしで買ったカーテンは、ニトリのベージュのカーテンだった。
青は子供っぽいし、赤は落ち着かないし・・・と頭をひねり、購入したカーテンの安っぽく小汚いベージュ色は、奇しくも実家の母親の肌着の色に似ていた。初めての一人暮らし、母親の温もりが恋しかったのかもしれない。

 

 

ニトリのお値段相当のカーテンだが、18歳男子大学生は満足した。悪意の太陽光を和らげてくれるし、なにより夜に部屋の照明をつけても外から見えない。カーテンは文化的生活に必須だったのだ!大切なものはいつだって失ってから初めて気づく。


男子大学生の下宿先は、阪神電車無人駅に近かった。
明け方に寝て昼過ぎに起きて、講義をさぼってベッドに横たわっていると、すぐに日が沈み部屋が暗くなる。風が吹き、母の肌着色のカーテンがはためき、電車の音がした。
その部屋でまどろみながら山崎まさよしの<One more time, One more chance>を聞くと、生きているのか死んでいるのかわからないような浮遊感があった。探す当てはないが「いつでも探しているよ・・・」と思っていた。

 


次に引っ越したとき、ベージュのカーテンを捨てた。

クソ大学生に太陽光はいらないと思った。いくら太陽といえどクソ大学生の眠りを妨げてはならない。近所のホームセンターで深紅のカーテンと、真っ黒のカーテンを買った。深紅はリビング用、黒は寝室用、どちらも1級遮光(※遮光界で最強)だった。ドギツイ赤と黒で、部屋はたちまち場末のキャバレーの様相を呈した。

果たしてクソ大学生の睡眠は太陽光に妨げられることがなくなった。カーテンを閉めておけば何時間でも寝ていられた。真っ暗の部屋で時計盤の<5時>を見て、午前か午後か悩むことがたびたびあった。21歳の洗練された怠惰だった。

 


上京して新居に選んだのが新宿のマンションだった。「ホモが東京に住むなら新宿でしょ!」という諦めと自棄のような本能に従った。狭い部屋を少しでも広く感じられるよう、真っ白な遮光カーテンを買った。23歳は5年間で「なにかをかうまえにインターネッツでしたしらべをする」を覚えた。ネット曰く「狭い部屋には色の薄いカーテンで解放感を!」とのことだ。真っ白だが外からの光は完全に防ぎ、大満足だった。白のカーテンには圧迫感がない。初めての社会や会社や労働による圧迫感との落差で耳がキーンとした。

 


現住居。大井町に引っ越して、白のカーテンはサイズが合わず、これといった意思もなく気が付けば茶色の遮光カーテンを買っていた。
引っ越した直前に別れた元恋人の部屋のカーテンが茶色だったことにおれの心の中の女子高生が影響されたのかもしれない。あるいは山崎まさよしが女子高生に何かしらのアドバイスをしたのかもしれないし、母の肌着がこの数年で茶ばんでしまったのかもしれない。


朝の光は生活リズムをリセットするというが、遮光カーテンは光を遮ることで睡眠を優先し、睡眠を優先することで生活のリズムを狂わす。狂った生活リズムはじわじわとサラリーマンを殺す。

サラリーマンには光を適度に通すカーテンが必要なのではないか。あるいは遮光カーテンを纏いながら、生活リズムが狂っても飢えない仕事に就くのが先か。

 

 

狭い部屋に茶色のカーテンは圧迫感がある。

部屋から浮いたカーテンを見ていると、逆におれがこの部屋から浮いているような気がしてくる。カーテンを見るたびに無意識下でストレスがたまっていることに気づいてから、カーテンが目に入らないように部屋を薄暗くして過ごしている。

 

部屋を薄暗くしてホラー映画を見たりなどばかりしている。